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綺麗な水と暖かい人情 躍進する粟生町!

粟生町紹介introduction

粟生町の歴史

『粟生』という名称は、「粟生弥七郎」という人物が、湯口村と北尾村の2村を一つにして「粟生村」と名付けたことが由来とされている。古くは正保年間(1645年~1648年)の「高辻帳」(江戸時代、各村の石高を書き記した帳簿)に粟生村の記載が見られることから粟生の由来をうかがい知る事ができる。江戸時代には、北国街道の宿場町として栄え大変活気がありました。
 粟生町の北部を流れる県内最大の河川である『手取川』は、暴れ川としても知られ、幾度となく洪水・氾濫を繰り返してきました。特に、昭和9年災害は、手取川最大の災害としていられています。粟生町を含めて流域の地域には甚大な被害をもたらしました。しかし、手取川ダムの建設により穏やかな流れとなり、現在では、流域の田畑に息吹をもたらし、企業の工業用水としても活用されています。

粟生町の現在

粟生町の世帯数は現在約600戸。この10年で約200戸増加しました。近年、宅地造成化が進み、町外からたくさんの方が転入されてきました。町の総世帯数が増える事は人の往来が増え、町に活気が出て、大変嬉しいことでありますが、反面、新しい住宅地の方々との交流がいまいちと言う感じです。一つの町内でバーベキュー大会を開催しても新しく町に来られた方々の参加がちょっと少ないです。このように新旧地域ゾーン、年代間の違いを如何にして融合してもらえるのかという事が気になる点であり、これからの宿題であると思います。



粟生町の施設紹介


粟生町公民館
(あおまちこうみんかん)
住 所 粟生町ロ33-1
開 館 平日 午前9時~正午
電 話 0761-57-1307

平日の午前中は、粟生町の役員の方々がいらっしゃいます。



能美市立粟生小学校
(のみしりつあおしょうがっこう)
住 所 粟生町ロ45番地
電 話 0761−57−0255

能美市内には市立小学校が8校あるうちの1校です。校区は、粟生町、吉光町、三道山町、新保町、秋常町、末寺町です。
詳しくは学校のホームページをご覧ください。
http://www.school.city.nomi.ishikawa.jp/~aoewww/






能美市立粟生保育園
(のみしりつあおほいくえん)
住 所 三道山町へ31番地
電 話 0761-57-0284
開 園 7時30分から19時まで
対 象 2ヶ月~小学校就学前
特 別 一時保育・障害児保育・病後児保育










粟生少彦名神社
(あおすくなひこなじんじゃ)
住 所 粟生町ト187

藩政末期(110~130年前)の建築物で、壁板は三面欅の一枚板を使用し、立派な彫刻を施してある。加賀地方においてこのような建築物の類例は、那谷寺の護摩堂にあるだけで大変まれな建造物である。
明治14年村社、大正4年「神饌幣帛供進神社」に指定される。大正5年に社殿の改築。






粟生八幡神社
(あおはちまんじんじゃ)
住 所 粟生町リ185-1

当社の旧記は往古火災に罹り明記を欠くが、豊饒と手取川の治水を念じて石清水八幡宮より勧請したという。藩政時代、藩主が北陸道を通る時必ず当社に参詣して手取川の氾濫なきよう祈願したという。大正4年11月神饌幣帛料供進神社に指定され、同10年社殿改築。
明治6年村社、大正4年「神饌幣帛供進神社」に指定される。大正10年に社殿の改築。





開之観音(ひらきのかんのん)
住 所 粟生町東52

 享保八年(1723)当時の十村役牧野孫三郎が、洪水後の開墾復旧のために、字小屋島の地に観音様をお祀りする祠を建て、『開きの観音』と呼んで尊崇した。明治十年に現在の地に祠を建立し、大正十四年四月に二間四方の新しい堂宇を建立し、平成九年十月に現在の堂宇に改築されました。当所に安置されているご本尊様は、霊験あらたかな高さ一尺五寸位の石造り『十一面観世音菩薩』です。毎年十月十八日に辰口温泉薬師集福寺の僧を招いて祭事『観音さま祭り』が行われています。


粟生獅子舞記念碑
(あおししまいきねんひ)
場 所 粟生南交差点付近

粟生町の獅子舞は能美市無形民俗文化財に指定されています。これまで京都府で開催された第36回全国八幡宮連合景仰祭(平成2年)や数々の全国大会で演舞してきました。現在は、粟生獅子舞保存会が継承活動を行っています。










粟生北交差点モニュメント
(あおきたこうさてんもにゅめんと)
場 所 粟生北交差点付近

平成元年八月に粟生第二土地区画整理事業「粟生東宅地造成」が完成し、併せて「粟生東公園」も完成しました。二つの事業の完成記念として、北方向から粟生町への入口となる「粟生北交差点モニュメント」が設置されています。



手取フィッシュランド
(てどりふぃっしゅらんど)
住 所 栗生町ツ58
電 話 0761-57-2211
HP http://www.tedori.co.jp

北陸最大規模の総合レジャーランド。釣り堀やベットショップなどを併設するテーマパーク。小さな子供でも楽しめるドラゴンコースターや、園内を遊覧できるスカイジェットがあり、家族連れにぴったり。全天候型屋内パークには、オフィシャルショップやイベントを開催するウルトラマンスタジアムを常設。毎日ウルトラヒーローに会える。




手取川橋(てどりがわばし)
場 所 粟生町北部
手取川について
 手取川は、石川県と岐阜県との県境に聳える白山に源流を発し北流する。旧鶴来町市街地で流路を西に変更し、加賀平野へ抜ける地点を扇頂とした扇状地を形成している。能美市と川北町の境界を流れ、白山市美川町で日本海に注ぐ一級河川である。名前の由来は、倶利伽羅峠の戦いのあと、平家軍を追って木曽義仲軍が篠原の戦いを前に、増水した濁流の川を渡るとき、兵士たちが互いに手を取り合って、流されないようにして渡ったことに由来する。
水系:一級水系手取川、種別:一級河川、延長:72km、水源の標高:2,702m、平均流量:72.48㎥/s、
流域面積:809㎢


手取川水害記念碑
(てどりがわすいがいきねんひ)
場 所 手取川堤防

昭和9年、手取川が氾濫し、粟生町や流域の地域に大きな被害をもたらしました。

 


忠魂碑
(ちゅうこんひ)
場 所 粟生小学校横

戦争に出征し国家のために殉難した人の霊が祀られています。粟生町出身兵士の忠魂碑です。











浅井外治翁胸像
(あさいそとじおきなきょうぞう)
場 所 手取川堤防

昭和九年十一月、手取川は未曾有の水害に遭遇し、幾多の人命と財産を一朝にして流出しました。浅井外治氏は災害復旧に寝食を忘れ、献身的に奉仕しました。 昭和13年には「手取川改修期成同盟会」。昭和17年には「手取川開発期成同盟会」を組織し、自ら会長職につき手取川改修促進の先頭に立ち、私財をもって手取川の復旧に努め、「手取川の守護王」とよばれています。









粟生町

〒923-1101
石川県能美市粟生町ロ33-1
TEL 0761-57-1307